公認会計士・税理士・損害保険仲立人の長谷川賢哉です。島では「けんちゃん」と呼ばれています。
前回、僕が公認会計士を目指すことになったきっかけを書きました。今回はその続きで、目指すと決めてから合格するまでの間にあったことを書きます。来月には論文式の合格発表もありますので、いま結果を待っている方に届けばと思って書いています。
1回目は、記念受験でした
公認会計士試験は、一次試験(短答式)に合格しないと二次試験(論文式)に進めません。
勉強を始めたのは大学三年生の夏です。部活でうっかり部長になってしまっていたので、その任期が終わってから通信で始めました。その頃にはほぼ単位を取り終わっていたので、実家に戻って家に籠って勉強をしていました。
1回目の一次試験を受けたのは、四年生の5月でした。勉強期間はまだ1年にも満たず、受かるとは自分でも思っていません。どんな試験なのかを一度体験しておこうという、ほぼ記念受験でした。
結果は当然まだまだで、不合格でした。このときはショックもありませんでした。
公認会計士を目指すと決めていたので、就職活動は一切せず、卒業旅行にも行かずに大学を卒業しました。そのまま浪人生活に入ります。
自己採点では、ボーダーを超えていました
2回目の一次試験は、その翌年の5月でした。勉強を始めてから1年9か月が経っていました。
試験が終わるとすぐに予備校が模範解答を出すので、家で自己採点をしました。ボーダーラインとされていた65%は超えていました。模試でもA判定が出ていましたし、当日の手応えも良かったので、まぁそうだよね、という感じで特に何も思いませんでした。
ボーダーラインが、5%上がりました
合格発表の日、インターネットで発表を見たら、ボーダーラインが70%と表示されていました。
5%上がっていました。
その瞬間に何を思ったかというと、絶望、の一言です。誰にどう連絡したのかも覚えていません。
「NNT」という言葉があった頃です
なぜ5%も上がったのか。理由ははっきりしていました。
その少し前の2年間、公認会計士試験は制度改正で大量に合格者を出していました。ところがサブプライムローン、リーマンショックと続いて、監査法人が新規採用を極端に絞るようになりました。合格者を出しても就職先がない。だから、これまでと同じように合格させる訳にはいかなくなったということです。
当時、受験生が集まる掲示板では「NNT」という言葉がよく使われていました。無い内定、の略です。試験に受かっても就職できない人たちを指す言葉として、スラングのように定着していました。
僕が落ちたのは、そういう年でした。
1ヶ月、勉強をやめました
一次試験は突破すると確信していたので、ショックが大きすぎました。
そこから1ヶ月ほど、何も勉強しませんでした。いつもどおり出かけて、喫茶店に行ったり、買い物をしたりして過ごしていました。
合格しても就職できるかすら怪しい資格を、これ以上目指すことはできない。そう思って、もう止めると何度も口にしました。
そのたびに母と兄が、ここまで勉強してきてあと少しだったんだからもったいない、もう少し頑張れ、と言ってくれました。
続けたのは、あと半年だったからです
ただ、正直に書くと、励まされたから続けたというよりは、条件のほうが大きかったです。
ちょうどこの年から一次試験が年2回になって、12月にもう1回受けられることになりました。僕が受けたのが、その初めての12月の試験です。もう1年ではなく、あと半年。それなら頑張ってみようと思えました。
あと1年だったら、たぶん止めていたと思います。
やり方は変えず、苦手だけを上げにいきました
次もボーダーラインが上がったままだろうとは想定できたので、苦手な分野の得点を上げることだけを意識しました。
勉強量も、やり方も、特に変えていません。予備校から提示されたカリキュラムを淡々とこなしていました。目新しいことは何もしていません。
結果から言うと、初めて実施された12月の一次試験は、ボーダーラインが71%とさらに上がっていました。さすがにもう一段上がるとは思っていませんでした。それでも、今度は超えられました。
ようやく、目に見える線を越えました
合格を知ったときは、めちゃくちゃ嬉しかったです。
二次試験はまだ残っていましたし、その先に就職の問題があることも分かっていました。それでも、目に見える形で一定のラインを超えられたことが嬉しかったです。
ちなみに、この間ずっと通信で勉強していたので、同じ状況の受験仲間は一人もいませんでした。喜びを分かち合う相手もいませんでした。
これは「僕の場合」です
いまは状況がまったく違います。少子化の影響もあって、基本的には就職しやすい環境です。そのため、リスクを取ってわざわざ資格を取ろうという人自体が減ってきているので、会計士業界も人手不足のようです。AIでこの先どうなるかは分かりませんが。
当時の自分に何か渡せるとしたら、ひとつだけです。
ボーダーラインが5%上がっても、合格した人たちはいました。
僕は時代のせいにしていましたが、そうではありませんでした。実力が足りなかっただけです。そこを真摯に受け止められていたら、あの1ヶ月は要らなかったのかもしれません。