公認会計士・税理士・損害保険仲立人の長谷川賢哉です。島では「けんちゃん」と呼ばれています。

今年の公認会計士試験も終わり、いまは結果を待っている方がたくさんいる時期だと思います。なので今回は、ちょっとだけ僕が公認会計士を目指すことにしたきっかけを書いてみます。島に来るより、ずっと前の話です。

僕以外、みんな医者です

僕の父は医者で、兄も医者、弟も医者です。僕も小さい頃から当然に将来は医者になるのだと、何の疑問も無く育ってきました。

ちょっとだけバンザイしていた大学に入りました

高校生活では本気で勉強をしてこなかったので、当たり前ですがセンター試験で撃沈し、いよいよ浪人生活が現実的になると、とにかく勉強したくないという逃げたい気持ちでいっぱいになりました。

そして親の反対を押し切り、河合塾のバンザイシステム(センター試験の点数を入れると各大学の合格可能性を出してくれるもの。当時の話なので、いまもあるのかは分かりません)でちょっとだけバンザイしていた地元の大学の経済学部を受験し、合格しました。

無気力に過ごしていた夏、車に跳ねられました

ただ浪人したくない、でも地元が良いという安易な考えで、自分でも全く考えてもいなかった経済学部に突然入ってしまったので、特に夢も希望も無いまま毎日を無気力になんとなく過ごしていました。

そんな状態だったからなのか、大学1年生の最初の試験期間が終わり明日から夏休みというタイミングでぼんやり自転車に乗っていたところ、車に跳ねられ病院に運ばれました。

入院体験は書くと長くなってしまうので省きますが、診断名は外傷性クモ膜下出血・頭蓋底骨折・肺挫傷・血胸で、生きていられたのが不幸中の幸いでした。この事故から無気力状態を脱し、しっかり生きようと決めました。

先輩の話す姿が、まぶしく見えました

そんなある日、友人に誘われて、大学OBの先輩が開催してくださった職業セミナーに参加し、公認会計士という職業を知りました。

その会計士の先輩がご自身の仕事を楽しそうに、誇りを持ってお話されている姿は、将来やりたい事が全く無かった僕にとって、とてもまぶしく輝いて見えました。僕もこうなりたいと思い、公認会計士を目指すことに決めました。

合格するまでも、合格してからも大変なことがたくさんありましたが、目指して本当に良かったなと感じています。

知らない職業は、目指しようがありません

vol.012で、島の子を高卒で採用したいと書きました。ハローワークに求人も出しています。ただ、資格を取りたいと言ってきてくれた人はまだいません。

島にいると、その資格がどういうもので、どんな仕事で、どういう働き方ができるのかを知る機会がそもそも無いからだと思っています。知らない職業は、目指しようがありません。

僕自身がそうでした。父も兄も弟も医者という家で育って、医者以外の職業をほとんど知らないまま18歳になりました。公認会計士という仕事があることを知ったのは、たまたま友人に誘われて、たまたまその場に行ったからです。

僕が島でやりたいのは、その「たまたま」を用意しておくことなのかもしれません。

これは「僕の場合」です

僕の場合、きっかけは先輩でした。自分の仕事を楽しそうに話す人が、たまたま目の前にいた。それだけなので、狙って出会えるものでもない気がします。

ただ、進路が決まっていたはずの人間が、全然違うところに来てしまうことはあります。18歳の時に医者になるものだと思っていた人間が、いま石垣島で会計士をやって、売店のレジにも立っています。

渡せるのは、僕がどうやってここに来たかという話だけです。僕を変えてくれた先輩のように、僕もまた誰かの憧れになれるように今を生きています。